http://number.bunshun.jp/articles/-/770797
高橋大輔、“絶望”からのソチ五輪。
仲間たちの思いを胸に、エースは甦る。
田村明子 = 文
text by Akiko Tamura
photograph by Asami Enomoto
「……高橋大輔」
日本スケート連盟の伊東秀仁フィギュアスケート委員長が、そう口にした瞬間、会場は悲鳴にも似た歓声に包まれた。感極まって泣き崩れているファンたちも少なくない。
12月23日、さいたまスーパーアリーナで行なわれた全日本選手権最終日。ソチ五輪代表選考の最終戦でもあったこの大会では、競技が終了してもソチ五輪代表の発表がなされるまで、会場の観客たちは席から動こうとしなかった。
表彰台は羽生結弦が二度目の優勝を果たし、町田樹が2位、小塚崇彦が3位という顔ぶれだった。織田信成が4位、そして高橋大輔は5位。負傷で欠場した2008年を別にすると、高橋が全日本での表彰台を逃したのは実に2004年以来、9年ぶりのことである。
負傷を抱えたまま五輪選考に挑んだ高橋大輔。
高橋大輔がジャンプの練習中に足を絡め転倒し、負傷をしたのが11月26日のこと。翌27日、右脛骨骨挫傷と診断され2週間の休養を言い渡された。ディフェンディングチャンピオンとして臨むはずだったGPファイナルを欠場。出場していれば、8回目となる予定だった。
「これまでGPファイナルに8回出場した選手はいなかったのではと思うので、出場したかったです。期待してくださった人たちに、申し訳ない気持ちです」と高橋はコメントした。
12月5日あたりから徐々にジャンプを再開したものの、満足に練習はできず、右足の痛みが取れないまま全日本選手権を迎えていた。
だがSPでは3アクセルを転倒して4位。
フリーでは冒頭の4回転で転倒して右手を切り、流血しながらの悲壮な演技となった。
ジャンプミスの重なった演技を終えると、涙をこらえながら悲しそうな笑みを見せた。
「もう五輪はないんだなと思いました」
長い間日本男子を引っ張ってきたエースのあまりにも切ない姿に、ファンたちももらい泣きを抑えられなかった。
ソチ五輪代表選抜の条件とは何だったのか?
2013年6月に日本スケート連盟が発表した五輪代表選手の選考基準には、3つの条件があった。
その1が、全日本選手権優勝者。優勝すれば無条件で内定というのは米国などと同じだ。
その2は、全日本で2位、3位の選手と、GPファイナルの日本人表彰台最上位者から選考。
そしてその3は、全日本終了時点での世界ランキング、ISUシーズンベストスコアの日本人上位3名選手の中から選考、というものである。
3つ目の条件は、明らかに万が一トップ選手が運悪く全日本選手権で体調を崩した場合に備えての救済策である。世界で戦っていくためには全日本の一発勝負だけで最良のチームを選抜できるとは限らず、過去の五輪でもこういった幅を持たせる代表枠は設定されていた。
苦しい選択を迫られた日本スケート連盟。
GPファイナルで初優勝、全日本でもタイトルを守った羽生結弦の代表決定は文句なしである。2位の町田樹はファイナルでこそメダルを逃したものの、GPシリーズ2戦で優勝して現在ISUランキングでは日本選手の中では高橋に次いで3位。シーズン最高スコアでも織田をわずかに上回って日本男子で3番目に高いスコアを出している。彼の代表決定も、順当な選択と言える。
残る1枠を誰にするのかというのが、日本スケート連盟に迫られた苦しい決断だった。
高橋大輔はバンクーバー五輪で銅メダルを手にし、そして日本男子では唯一、世界選手権とGPファイナルの両方のタイトルを手にした選手である。今シーズンもNHK杯で優勝し、羽生に次いで2番目に高いシーズンスコアを出している。負傷さえなければ、今季もGPファイナルに進出していた。世界的スタンダードで考えても、これほどの選手を五輪代表からはずすことなど、ありえなかっただろう。
五輪のメダル候補が5人も! 世界一厳しい代表争い。
だがその一方で3位に入った小塚崇彦も、今シーズンのGPシリーズでこそ不調だったとはいえ、これまでに世界選手権銀メダル、GPファイナル銀メダルを手にしている選手である。
また4位だった織田にしても、3つのどの条件も満たしていないがGPファイナルでは銅メダルを手にしている。これほど過酷な代表争いを繰り広げる現在の日本でなければ、当然五輪の代表になれるだけの実力を持っているのだ。
メダルを競える選手が少なくとも5人いる。だが代表枠は3枠しかない。
どう選んでも、批判の声が出ることは避けられない。日本スケート連盟にとって、身を切るような苦しい選択であったに違いないが、選考会では満場一致で高橋大輔を選出したのだという。
仲間たちの無念を受け止めて臨むソチ五輪。
「昨日まで絶望していたので、ここにいられて本当に嬉しく思います」
五輪チームが正式に発表されてから、高橋はほっとした表情でそう言った。
「今までの生ぬるい自分ではなく、追い込んで追い込んで、日本代表に恥じない演技を五輪で一生懸命やってきます」
そう口にした高橋は、己に厳しく誇り高い選手である。怪我さえなければ、こうした形での代表選抜ではなかったはず、という無念な思いを抱いているはずだ。
「頑張ってくる」と、高橋は小塚に誓ったという。
長年トップで競ってきた仲間だからこそ、代表から漏れた小塚や織田らの気持ちを、誰よりも理解しているのだろう。その思いをしっかりと受け止めて、ソチ五輪では必ず世界王者らしい演技を見せてくれるに違いない。
鈴木明子の初タイトルと安藤美姫の引退。
波乱万丈としか言いようのない男子に比べると、女子は浅田真央、鈴木明子、村上佳菜子という比較的順当な五輪メンバー選抜となった。
もっとも予想外だったのは、浅田真央が本来の演技を見せられずに3位に終わったことである。GPファイナル後、持病の腰痛が悪化して満足に練習もできなかったというが、メディアの前では言い訳がましいことは口にしなかった。
「この悔しさを次の試合にぶつけられるようにもう一度気持ちを切り替えて、パワーアップした演技をするようにしたいです」
ソチ五輪までに体を休めて、彼女らしい演技を見せてくれることを願いたい。
初タイトルを手にしたのは、会心の演技とも言える素晴らしい滑りを見せた鈴木明子だった。
「本当にここまで簡単な道ではなかった中で、支えてきてくれた皆さんの笑顔が思い浮かんで、この全日本でここまでの演技ができて達成感がありました」
練習では決して好調ではなかったジャンプも本番ではみごとに決め、無我の境地へと到達したかのような、すがすがしさを感じさせる演技だった。
村上佳菜子はGPシリーズの不調から一念発起し、2位に入賞して見事五輪初出場への切符を手にした。
4月に出産を経て、ソチ五輪を最後の舞台にすることを目標にしてきた安藤美姫は、総合7位に終わり試合後、競技引退を宣言。二度も世界選手権のタイトルを獲得しながらも、ついに五輪のメダルは手にしないまま競技引退というのは、少し残念な気持ちもする。
だが、本人は「このような素晴らしい全日本の場に立つことができて、最終グループで滑らせていただいたので、今日のこの日が一番幸せだったなと思います」と笑顔で現役生活に別れを告げた。今後は指導者としての道を希望しているという。
フリーの演技で右手から血を流した高橋。「人生でこんなに悔しい思いをしたことがなかった」と、代表発表の前の晩は寝られなかった。
photograph by Asami Enomoto
とにかく日本男子の代表争いが厳しすぎましたね。
日本代表になった選手は全員、金メダル候補でしょう。
ソチ五輪では、日本代表の全員が、持ちうる力の全てを出し切れることを願っております。
↓いつも、ありがとうございます。m(_ _ )m

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