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高橋大輔と歌子コーチ 三度目の五輪

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http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/skate/140101/20140101069.html

フィギュアスケート企画

高橋大輔と歩んだ「道」
フィギュアスケート 長光歌子コーチ


2014年1月1日 大阪日日新聞

 12月21~23日、ソチ五輪日本代表最終選考会を兼ねた「全日本フィギュアスケート選手権」がさいたまスーパーアリーナで行われ、羽生結弦、町田樹、高橋大輔が選出された。今回は高橋を長年指導する長光歌子コーチに、高橋と歩んできた「道」について話してもらった。

 (聞き手・黒尾順子、写真撮影・森田正美)

「大輔のスケーティングが大好き。いつまでも見ていたい」

ソチ五輪決定

 -ソチ五輪代表が決定した今の気持ちは。

 全日本のフリーで終わらずに五輪につながって安心しています。

 -万全な状態でなかったことに不安はなかったですか。

 右脛骨(けいこつ)骨挫傷の影響で5日ほど休み、練習を再開したときには簡単なジャンプすら下りられなかったので、大輔自身に「これでは戦えない」という焦りがありました。しかし、全日本に出場しないと五輪への道はない。それをよく承知していたので、渡部(文緒)トレーナー、ドクターや治療院の方などたくさんの力を拝借して、ようやく全日本までたどり着くことができました。欲を言えば、あと1週間欲しかったですね。

 -1度目に出場したトリノ五輪のときは。

 1枠しかない出場権を織田選手と張り合ったのですが、ライバルがいることでモチベーションを保てたように感じます。

 -2度目のバンクーバー五輪のときは。

 2008年のけが(右足膝前十字靭帯(じんたい)と半月板損傷)から復帰しての五輪シーズンだったので、とにかく「五輪に出場したい」という一念でした。その強い気持ちが銅メダルにつながったと思います。その時点では、「バンクーバー五輪の翌年、東京の世界選手権まで頑張ってやってみよう」という話をしていたのです。

 -その世界選手権は東日本大震災の影響で延期になり、モスクワでの開催になりましたね。

 モスクワでアクシデント(フリー演技中、スケート靴のビスが外れる)が起こり、5位に終わってしまって。その後に「スケート人生が奇麗に終わらないかもしれないけど、ソチ五輪にチャレンジしたい」と私になんの相談もなく発言していたのを知り、とても驚きました。でも、「大輔がやると言うのなら、また一緒に頑張ろう」と。

 -もし、モスクワで良い結果を残していたら。 

 表彰台に乗っていたら、もしかしたら辞めていたかもしれませんね。私は大輔のスケーティングが大好きなので、いつまでも見ていたいという気持ちが強いんです。ですからそこからの3年間はうれしい時間でもありました。

 -五輪、世界選手権が終わったあとは。

 少し前から「もしかしたら、来季も続けるかもしれない」という大輔の発言に対し、モチベーションとして追い込みきれていない原因がそこにあるのかなと懸念を持っていたので、スケートアメリカから帰ってミーティングしたときに、「逃げ道を作らずに、退路を断ってやらないとだめなんじゃない?」と思い切って彼に告げたんです。でも、言ってしまった後にすごくつらくて。私自身が大輔のスケートを見ていたいという気持ちが強くて、その言葉をなかなか言えなかったんですよね。私の覚悟が足らなかったのかもしれません。

「この子は絶対に世界のトップに上がっていく」

二人三脚

 -高橋選手と長光先生が歩んできた道について教えてください。

 あっという間の14年間でしたね。とても短く感じます。大輔も私も悪かったことやつらかったことをすぐに忘れてしまう性格なので、それでやって来られたんじゃないかと思います。

 -出会ったときの印象は。 

 仙台のリンクでした。私が氷上にいると彼がリンクサイドでこちらを見て立っていたんです。彼のほうを見ると入り口から光が射して、その光のなかにいたんです。今でも鮮明に覚えています。それがこんなに長い付き合いになるとは全然思わなかった(笑)。

 -五輪に3回出場する選手に成長すると思いましたか。

 たまたまプログラム(ワルソー・コンチェルト)を作ることになったのですが、そのときにすごく驚いたんです。曲の捉え方、表現を見て、「この子は絶対に世界のトップに上がっていく」と直感しました。反面、その後の彼を見ているうちに性格の優しさに心配するようになって。「こんなに優しい子が世界のトップになれるだろうか」と。

 -運命的な出会いから、まもなく二人三脚が始まったのですね。

 とにかく大輔は自己評価の低い子で、自分の才能にも気が付かないので、これをなんとか世に認めてもらわなくてはいけないと。それまでは私がきちんと後ろに付いてあげるべきだなと感じ、それが今日まで続いている感じです。

出会いに感謝

 -数々の紆余(うよ)曲折を経て、それでも前に進み続けた原動力は。

 負けず嫌いであることでしょうか。それとファンの皆さまの応援の力が大きいです。今回はあらためて感動しました。本人はもっとうれしいと思っていると思いますよ。

 -試合直前にも周回しながら、客席をよく見渡していましたね。

 声援の聞こえるところをぐるりと周って、自分を奮い立たせていたのだと思います。本当にありがたく思いました。代表発表のときにもとても温かく迎えてくださって、本当にほっとしました。

 -五輪、世界選手権ではどんな演技が見たいですか。

 まず自分がベースとしているエレメンツを完璧にやり切って、周りや観客の皆さまに感謝の意味を込めているフリーで、彼の思いが皆さまに伝わればうれしいと思います。

 -感謝の気持ちと優しさにあふれたフリーですね。

 特に最後のコレオは、彼にしか滑れない。足数が少なくて、迫力もありますし。振り付けのローリー(・ニコル)は大輔をよく見抜いて、良いものを作ってくれたと思っています。

 -先生にとって、高橋大輔というスケーターは。

 フィギュアスケートは女子はもちろん、男性にとっても素晴らしい競技。佐野(稔)先生や、(本田)武史先生がテクニック、ジャンプの素晴らしさで日本男子シングルの評価を上げてくれたところに、大輔が感性や表現力を世界に見せた。それがまた次の世代の選手の評価につながっていきますから、良い橋渡しをしていると感じます。しかし、よくぞここまで走り続けてくれたなと。けがをして休む時期もありましたが、よく頑張って来てくれました。「男こそ踊るべき」という信念を持っていた私が大輔と出会えて、そして私の想像以上の選手になってくれたことに感謝しています。

 -先生と高橋選手の「ロング・アンド・ワインディング・ロード」、目指すゴールは。

 やっぱり、一番高いところに立ちたいですけれど、彼がやり切ってくれたら、全て出しきってくれたらそれで私は満足です。


高橋大輔とともに歩んできた長光歌子コーチ(中央)=2013年11月、NHK杯


ソチ五輪代表を決め、晴れやかな表情で声援に応える高橋大輔=2013年12月、全日本選手権


運命的な出会いを果たした長光歌子コーチ(左)と高橋大輔=2004年2月、大阪府高槻市(山陽新聞社提供)

http://www.cnn.co.jp/showbiz/35041701.html

フィギュア男子、高橋大輔選手が語るソチへの熱い思い

2013.12.20 Fri posted at 17:00 JST

(CNN) 日本のフィギュアスケート男子、高橋大輔選手。「自分にとって一番大きな大会はやっぱりオリンピック」だと語り、2014年のロシア・ソチ冬季五輪出場を目指す。

 高橋選手は岡山県倉敷市出身で、幼いころは体操選手を目指していたが、自宅近くにスケートリンクができたことで彼の運命は大きく変わったという。スケート好きな母の同僚に連れられてリンクに行った高橋選手は、自分が本当にやりたいのはスケートだと考えるようになったのだという。長光歌子コーチと出会ったのは中学生の時だという。

 高橋選手は、2010年バンクーバー冬季五輪で銅メダルを獲得。これに続き世界選手権でも優勝を果たした。どちらも男子シングルでは日本人初の快挙だった。

 それでも高橋選手は、自分が特別な存在だと思ったことはないという。他の選手のほうが応援が多い気がすることも多いし、他の選手のいい演技を見ると、同じようにレベルの高い演技をしたいとがぜんやる気が出ると語る。

 バンクーバー五輪は、けがから本格復帰したシーズンだった。「僕は2回オリンピックに出たんですけれど、そのなかでもバンクーバーというのは忘れられない試合です。演技が良かったとかではなく、けがをしてその後のシーズンだったというのもあるんですけれど」と高橋選手は言う。

 バンクーバーでは試合前に自分自身が興奮して少し涙が出たと語る。

 高橋選手はフィギュアスケートの選手に必要な資質は華やかさかと思うと語る。華やかなステップに派手な衣装、観客に与える感動も含めたパフォーマンスの全てが競技の対象となる。

 「(フィギュアスケートの)一番いいところはお客さんを独り占めできるところ」と高橋選手は述べる。その一方で、自己陶酔に陥らないようにも気をつけている。観客の感興をそぐと分かっているからだ。

 競技において重要となる衣装については、「(自分は)スタイル的にベストではない。手足も長いわけでもないし身長も低い」とし、だからこそ「ちょっと大きく見えるように、余韻が見えるように手の先にひらひらをつけてみる」など一工夫しているという。

 また、スケート靴との相性も成績を左右する大きな要素となる。1カ月ごと、場合によっては試合ごとに取り替えることもあるが、しっくりくる靴はなかなか見つからないという。

 2014年のロシア・ソチで開催される冬季五輪でフィギュア男子の日本の出場枠は3人。足のけがで5日のグランプリ(GP)ファイナルを欠場した高橋選手は、12月下旬の全日本選手権で好成績を残す必要がある。

「僕自身の中では(ソチが)現役最後かなというくらいの気持ちでやっている」と高橋選手。「絶対その(出場の)チケットを獲得して、行った先にはまたメダルというものを目指す」と、五輪への思いは強い。





大ちゃんと歌子コーチの関係は、伊藤みどりさんと山田コーチと重なりますね。

コーチとして、選手を自宅に引き取り指導してきた道筋が同じです。

また日本の女子フィギュアの歴史と人気を確立させたのは伊藤さんですし、日本の男子フィギュアの歴史を塗り替え、人気を上げたのも高橋選手です。

『少し前から「もしかしたら、来季も続けるかもしれない」という大輔の発言に対し、モチベーションとして追い込みきれていない原因がそこにあるのかなと懸念を持っていたので、スケートアメリカから帰ってミーティングしたときに、「逃げ道を作らずに、退路を断ってやらないとだめなんじゃない?」と思い切って彼に告げたんです。』

大ちゃんは来季も、続けるつもりがあるのでしょうか。(ノ゚ο゚)ノ

もし続けてくれるのならば嬉しい限りですが、ソチ五輪の結果如何なのでしょうか???

引退しても、アイスショーでは滑ってくれると思います。

なので大ちゃんの滑りは見られます。

今の変な採点と、怪我の後遺症で、これ以上、苦しむ姿は見たくない気もします。

彼にとって一番最適なのは、金メダルをとって引退出来る事だと思います。



↓大ちゃん、ソチ頑張ってください。≧(´▽`)≦


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