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鈴木明子「病を乗り越える力となった愛情」

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「虎四ミーティング」 9月はプロフィギュアスケーター・鈴木明子さんの登場です

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40526

[虎四ミーティング~限界への挑戦記~]
鈴木明子(プロフィギュアスケーター)<後編>「病を乗り越える力となった愛情」


2014年09月26日(金) スポーツコミュニケーションズ

二宮: 鈴木さんは、6歳で本格的にフィギュアスケートを始められたそうですが、きっかけは何だったとか?

鈴木: はじめは水泳、習字、絵画と同じく、習い事のひとつとして、スケート教室に入ったんです。

二宮: 習い事のひとつとして選んだのは、お母さんがフィギュアスケートを好きだったから?

鈴木: いえ、そうではないんです。その頃は、今みたいにスケート選手がたくさんいるわけではなかったので、地元の豊橋(愛知)にあったスケートクラブが、小さい子たちに「スケートやらない?」と勧誘をしていたんです。それでいとこがスケート教室に行くというので、私も見学にと一緒に連れて行ってもらった。最初はくるくる回っていたり、スカートがかわいかったので、単純にそれだけで“自分もやりたいな”と思いましたね。

二宮: 愛知県は数々の名選手を輩出していますが、やはり地元ではスケートは盛んだったんですか?

鈴木:そうですね。やはり伊藤みどりさんの影響はすごく大きかったと思います。特に名古屋は習い事として、フィギュアスケートをやらせるケースが多かった。私の親の世代がみどりさんを見てきているので、フィギュアへの関心も高かったのではないでしょうか。

二宮: アルベールビル五輪で銀メダルを獲得し、女子選手で初めてトリプルアクセルを成功させた伊藤さんは、鈴木さんの目から見てもすごかった?

鈴木: 天才だと思います。実際、未だにみどりさんを超すジャンプの技術を持つ選手は出てきていません。私自身は直接演技を見たわけではないのですが、それでも映像などで見直すと、そのすごさに驚きます。



二宮: 鈴木さんと言えば、師事を仰ぐ長久保裕コーチの存在を抜きには語れません。長久保コーチの指導は厳しかったでしょう?

鈴木: テレビだけを見ている方は、試合の時のイメージで「すごく穏やかで優しそう」と言うんですが、氷上練習の時は本当に厳しい。普段、氷から離れるとすごく優しいのですが、氷の上では何度も怒鳴られましたね。

二宮: 時には涙することもありましたか?

鈴木: もうしょっちゅうでした。師弟関係が長いので、私も言い返してしまい、ケンカになることが多かった。先生とは親よりも一緒にいるので、普通の生徒だったらワンクッションおいて冷静に言うところを、私には感情的になって言ってくるんです。そうすると、言われたことが正しくても“なんでそんな言い方されなくちゃいけないの?”と思ってしまう。まるで“親子ゲンカ”のようなことをよくしていましたね。

二宮: 鈴木さんのイメージからすると、少し意外ですね。

鈴木:私、実は気が強いんです(笑)。だから“自分はそういう言われ方をしたくない”とか、“こっちは一生懸命やっているのに”と思うと、言い返していましたね。最長で2週間、口を利かないともありました(笑)。それでも練習はあるので、耳だけは貸しても目は見ないみたいな……。

二宮: そういう時はどちらから謝るんですか?

鈴木: 最終的にはお互いがその時にどう思っていたかをメールしたりします。でもケンカしたての時はそうはいかない。私にはヘッドコーチの長久保先生の他に4人の女性コーチがいたんです。それで、他のコーチが「そろそろ、この状態はよくない」と色々、間をとりもってくれました。

二宮: 他のコーチが仲裁に入るわけですね。

鈴木: そうですね。まわりは「また親子ゲンカが始まった」と言っていたみたいですけどね(笑)。でも、そこまでの関係を築ける師弟関係はなかなかないかなとも思うんです。私は決していい生徒ではありませんでしたが、先生もそれだけ真正面に接してくれていたのかなと。

二宮: 長久保コーチが言っていましたが、最初は「特別素質があるような印象は受けなかった」と。

鈴木:名前も憶えてもらえていなかったんだろうなというほどでしたね。今まで自分が一番だなんて、思ったこともなかった。実際、一番になることもほとんどなかったですし。でも楽しかったことはもちろんですが、なかなか一番になれなかったからこそ、ここまで続けられた部分もあったと思います。

二宮: なるほど。それだけフィギュアスケートが好きだったんですね。

鈴木: そうですね。始めた頃から、その気持ちは今も変わらないです。



自らを追い込んだ完璧主義

二宮: 長い競技人生の中で、逆境を迎えたこともあったと思います。鈴木さんは高校卒業後に、東北福祉大学に進学します。生まれ育った豊橋から離れ、仙台(宮城)でのひとり暮らしが始まり、摂食障害になった。体重は32キロまで落ちたとか。

鈴木: ほぼ骨に皮がくっついている状態で、ふつうの日常生活もろくに過ごせなかったですね。体力がないので、寝ることもできなかった。人によっては、倒れたりする方もいるらしいのですが、私はずっとスポーツを続けてきたこともあってか、それはなかったんです。

二宮: 身体にも変調をきたしたでしょう。

鈴木:髪の毛はほぼ抜ける一方で、寒さから守るために、身体には産毛が生えてきました。人間って、こうやって自分の身体を守ろうとするんだなと、その時に学びましたね。

二宮: 摂食障害の原因は何だったのでしょうか?

鈴木:精神的なものが一番大きかったと思います。スケートは、人に見られるスポーツなので、体型を気にしていたところがあったんです。太ってはいなかったのですが、まわりが体重の調整に苦労しているのを知っていたので、自分は仙台に行ってひとり暮らしを始め、親元から離れたことで、それまで以上に“しっかりやらなきゃいけない”と思ったんです。それに長久保先生のところに行ったのだから、“もっとスケートも巧くならなきゃ”と、何もかも完璧にやらなくちゃいけないという気持ちがすごく強かったんです。

二宮: 強迫観念みたいなものがあったんですね。

鈴木: それで脂を摂らない、肉を摂らないというふうに、どんどんエスカレートしてしまった。そのうち食べる行為自体が怖くなってしまったんです。最初は少し細くなったら、体も軽くなって動けていたんです。“これでいいのかな”と思っていたら、歯止めがきかなくなってきた。目的がその時には変わっていたんです。肝心の“スケートがうまくなるため”ということがどこかで抜けてしまっていた。その時は自分の中ですごくブレていたんだと思います。

二宮: スケートがうまくなるために体重を落としたのに、いつしか減量そのものが目的になってしまったと。

鈴木: はい。たぶん、性格上、色々なことをやりすぎちゃうんです。できないのに完璧主義なんです。その時も自分のキャパシティを越えちゃってまで、一生懸命やろうとしてしまった。“何もかもやらなきゃいけない”と思い過ぎていたのが原因だったと思います。

二宮: できないことを恐れるあまり、自分をどんどん追い込んでしまっていた?

鈴木: 今思えば、そんなに強がらなくてもよかったんだなと思います。もちろんスケートに関しては、競技をするうえで妥協することは難しい。でも、それだけスケートを頑張っているのだから、それ以外のことは“まぁいっか”と割り切れれば楽だったと思うんです。すべてにおいて、ゆとりや余裕がありませんでした。



クリエイティブな表現者になりたい

二宮: 将来的には振付師になりたいとお聞きしました。コーチではないんですよね?

鈴木:元々、技術的なことを教えるコーチには興味がなかったんです。私は表現することの方が好きなので、よりスケーターに合った振り付けを作りたい。どうすれば魅せられるかをクリエイティブに考えて行く方が、自分に合っているのかなと思うんです。

二宮: 音楽の選曲も含めてプログラムをどうするかを考えたいと。

鈴木: そうですね。こういう見せ方をしたら面白いなとか。私自身、滑る時も、自分ひとりで作っているわけではないのですが、“この曲だったら、こういうふうにしたいな”という考えはすごくありました。だから私はスケート以外のことも色々と経験を積み、吸収した中で、次のステップは振付師としてやっていきたいと思っています。

二宮: いずれは振付師として、五輪に出場する選手をサポートする鈴木さんの姿が見られることになるかもしれませんね。

鈴木:そうなるといいですね。私は海外の選手にも必要とされる振付師が目標です。現在は、日本人選手の多くが海外の振付師に依頼している。今度は海外の選手が日本人である私のことを求めてきてくれるぐらいの存在になれたらいいなと思います。

二宮: 今後の活躍を楽しみにしています。さて改めて、新商品『鉄火丼』の感想はいかがでしょうか?

鈴木:まぐろとごはんに染み込んだタレのバランスが絶妙です。すごくおいしかったです。それにさっぱりしていてとても食べやすかった。フィギュアスケートで例えるならば、技術点も構成点も高いパフォーマンスだと思います。

二宮: 舌の肥えた鈴木さんならではのジャッジですね。山かけをトッピングするという手もあります。

鈴木:それもおいしそうですね。すき家さんを利用する機会があれば、ぜひ試してみたいと思います。

(おわり)

<鈴木明子(すずき・あきこ)>

1985年3月28日、愛知県生まれ。6歳でフィギュアスケートをはじめ、09-10シーズンに中国杯でGPシリーズ初優勝。初出場のGPファイナルでは総合3位に入り、銅メダルを獲得した。全日本選手権では2位となり、バンクーバー五輪代表に選出された。バンクーバー五輪で8位入賞。12年の世界選手権で3位に入り、銅メダルを獲得。現役最後の13-14シーズン、全日本選手権で初優勝を果たした。今年2月のソチ五輪では女子シングルで8位に入り、2大会連続の入賞。同大会から初めて正式種目となった団体では、キャプテンとして5位入賞に貢献した。今年3月の世界選手権で6位入賞し、現役を引退した。著書に『ひとつひとつ。少しずつ。』(KADOKAWA)、『壁はきっと越えられる-夢をかなえる晩成力』(プレジデント社)。




↓前篇の記事はこちらです。

http://ameblo.jp/shuppansports/entry-11926194883.html
鈴木明子「悔いなき22年間の競技生活」


長久保コーチとの親子のような関係は、中々、師弟の間では難しいと思います。

お互いに遠慮がない関係だからこそ、長い師弟関係が出来たのではないでしょうか。

あっこさんには、シェイリーン・ボーンさんみたいな、世界的な振り付け師になってほしいと思います。



↓こちらもご覧ください。

http://ameblo.jp/shuppansports/entry-11927965685.html
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